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菅原木工 神仏をまつる堂宇から住宅まで




【社寺建築 参考資料】
















































社寺建築名称・用語・解説



 寺院の伽藍配置(がらんはいち

 寺院には、中門、金堂、講堂、塔、食堂、鐘楼、経蔵、僧房などいくつもの建築物があり、これらを総称して伽藍といいます。


 金堂は、仏像を安置している仏堂で、その寺院の中心的な建物です。堂内を金色に塗装したのでこの名がつけられたと云われています。
金堂の名称は「日本書紀」の飛鳥寺建立の条にもみられるように飛鳥・白鳳・奈良時代にすでに使われていました。


 講堂は、経典の講義や説教をおこなう場所です。


 塔には三重塔や五重塔などがあり、釈迦の舎利(遺骨)が納められているところです。


 食堂は僧たちがが食事する建物で、僧房は寝起きするするところです。
 鐘楼には梵鐘(釣鐘)が吊され、経蔵には、経典(仏教の教えが書かれている書物)が納められています。


 ほかに、庫裡(台所)、方丈(住職の住まい)、客殿(応接間)、東司(トイレ)、塔頭(隠居した僧の住まい)などがあります。

古代においては塔・金堂・僧房等の諸建築がかなり近接して、緊密な関係を保って計画配置されていました。


戦前、飛鳥時代の伽藍配置としては、塔と金堂とを南北に配置する四天王寺式と、これを東西に並置する法隆寺式とが知られ、これを規準として考察がなされてきましたが、戦後になり、寺院跡の発掘調査が盛んになり、飛鳥寺をはじめいくつもの実例が明らかにされて、これまでの考え方に根本的な修正を加えることになったのです。

 飛鳥寺は、蘇我氏によって営まれた寺で、崇峻元年(588)に百済から寺工、瓦工を招いて造営を開始し、推古四年(596)には塔が落成していることより、このころには伽藍の体裁が整ったと考えられます。
 この寺の伽藍配置は、塔を中心としてその後方と両横に塔に面して堂が並び、これらを中門からおこる回廊が取り巻き、講堂は回廊の後方に建っています。

 このように飛鳥寺は1塔3金堂であって、初期の寺院が1塔1金堂を原則とするものではないことを明らかにしています。

 7世紀初頭までの伽藍配置としては飛鳥寺と四天王寺とが確かめられていますが、7世紀中期の寺院としては、川原寺が1塔2金堂の形式をもつことが明らかになっています。

 川原寺は、中門から発して金堂の両脇に達する回廊に囲まれた中に、東に塔、西に金堂を対置させた形式となっていました。
これとほぼ前後した時期に法隆寺西院の形式が現れます。

 こうして1塔3金堂が1塔2金堂を経て、1塔1金堂に進み、それを東西に配置する形式が7世紀の後半期に定型化したいえます。
その後680年代に、これらの配置とは異なる2塔1金堂の構成をもつ薬師寺が建立されます。

 この形式は、以後の奈良時代の伽藍配置の基本となっていて、薬師寺では2塔が金堂とともに回廊で囲まれていますが、その後は塔が回廊外に建てられて、興福寺にみるような形式となっています。

 塔が回廊の外にでることによって、金堂院と塔院とが分かれ、塔院が独立して、その位置もかなり自由に選ばれるようになっています。
 平城京内で東西2塔をもつものとして、大安寺、東大寺、法華寺、西大寺があげられますが、興福寺、元興寺は東塔しか建てられていません。
 また各地に建てられた国分寺も1塔1金堂の構成をもち、また金堂院、塔院の分化が認められます。
 伽藍配置には、このほかにもいろいろな類型があり、その発展過程についての解釈には諸説あって一定はしていません。

【平安時代~鎌倉時代伽藍配置の変遷】
 平安時代は、奈良時代の学問本位の寺院から、修行道場の寺院に変わっていきました。また新しく浄土信仰の寺院も出現しました。鎌倉時代になると、特色ある禅宗伽藍があらわれました。
 
 山地伽藍:室生寺(奈良県)は奈良時代末の創建になり、平安時代初頭には伽藍が完備されました。密教の伝来により、延暦寺(滋賀県)・金剛峯寺(和歌山県)などの山地伽藍が盛んにつくられました。
室生寺は、創建当初は奈良南都興福寺系の寺院でしたが、一時天台系となり、後に真言系の加わり元禄年間(1688~1704)からは真言宗寺院となりました。伽藍は山地傾斜面を造成し、懸崖の舞台造の名のある金堂、簡素な弥勒堂、石段をあがった広い台地の北側に本堂(灌頂堂)があります。さらに段丘をのぼった斜面に五重塔が建ち、杉の参道を登りつめると奥の院・御影堂があります。
 浄土伽藍:平安時代後期、浄土信仰の興隆により阿弥陀仏中心の伽藍がつくられ、貴族階級の住宅様式であった寝殿造庭園の影響を受けて、浄土世界を現出するかのように庭園と建築が一体となった極楽浄土伽藍が盛行しました。宇治平等院をはじめ、浄瑠璃寺、法界寺、中尊寺、富貴寺、白水阿弥陀堂、高蔵寺阿弥陀堂などが代表的な寺院です。

飛鳥寺式
中心に等があり、:それを囲むようにして金堂を配置。金堂よりも、塔を重視している。
四天王寺式
塔と金堂を中心にして一直線に伽藍を配置。塔を重視した配置。
法隆寺式
東西対称に塔と金堂を配置。塔と金堂は同等扱い。
薬師寺式
金堂が中心となって、東西に塔が対になって配置。
東大寺式
東西両塔は回廊から出た場所に配置され、塔の重要性が薄れていった。

 塔の様式

三 重 塔
屋根が三重に重なった様式(裳階のついた塔もある。)
五 重 塔
釈迦の舎利を納めるための五重塔。三重塔、多宝塔と共に寺院の構成上重要な建造物です。ただし、禅宗の寺院には例が少ない。
多 宝 塔
寶塔: 下の重は正八角形平面、上の重は円形平面の塔に方形の屋根をのせ、多宝如来を安置する(金属、石などで作られているものもあります。)
小搭: 下の重は五間四面、入側柱三面四間、上の重は三面四間、下の重小屋組上から心柱を建て、下の重は一手先組、上の重は三手先組とする。屋根は方形で九輪をのせる。下の重に高欄のない大床、上の重に高欄付の大床を付ける。
大塔:下の重は五間四面の矩形、入側柱は12本の円形平面、上の重は柱12本の円形四面。下の重小屋組上から心柱を建て、下の重は一手先組、上の重は四手先組とする。屋根は方形で九輪をのせる。高欄、大床は小搭と同様ですが、上の重は高欄は円形平面である。
宝久塔: 下の重は三間四面、上の重は下の重の中の間一間を三間に割った平面。下の重小屋組上から心柱を建て、三手先組方形屋根として九輪をのせる。下の重は三斗組、高欄、大床は小搭と同じ。

 堂の様式

六 角 堂
正六角形平面で高欄のない縁床を六方に巡らし、一面置き三方に階段及び出入口を付ける。屋根頂部に六角形の露盤・宝珠などがある。
八 角 堂
正八角形で高欄のない縁床を八方に巡らし、一面置き四方に階段及び出入口を付ける。屋根頂部に八角形の露盤・宝珠などがある
東 金 堂
正面桁行の間九間、梁間四間の入母屋造、入側柱の一手先組桁上より地垂木を下げて側柱の桁上と定め、一手組とする。
金  堂
正面桁行の間九間と庇二間、梁間四間と庇二間の入側の柱内は切妻二手先組、庇部分は四方流れ屋根、入側柱の上は二手先組、側柱の上は三斗組(本尊を安置する堂宇)。
三 間 四 面 堂
三間四面の高欄付きの大床を四方に巡らした。三手先組の方形屋根で方形の露盤・宝珠などがあり、一間の向拝がある。
五 間 四 面 堂
正面桁行の間五間、梁間五間の矩形の平面で、内丸桁から地垂木を掛け、外丸桁上とした三手先組入母屋造。向拝正面の間三間、出二間の高欄のない大床を四方に巡らします。
七 間 四 面 堂
正面桁行の間七間、梁間七間の矩形の平面で、内丸桁から地垂木を掛け、外丸桁上とした三手先組入母屋造。向拝正面の間三間、出二間の高欄のない大床を四方に巡らす。
戒 檀 堂
入側柱の間三間の方形平面に庇を付け、計五間の方形平面の屋根も方形とする。上屋根には露盤・宝珠がある(授戒を行う堂宇)。
講  堂
入側柱正面の間五間、梁間三間に、内丸桁から外丸桁まで地垂木を掛け、側柱を建てて計正面の間九間、梁間五間とした入母屋造。高欄のない大床を四方に巡らす(仏典の講義を行った堂宇)。
説  堂
正面桁行の間七間、梁間五間(六間あり)、内陣柱間三間の間五間、三手先組入母屋造の向拝正面の間三間。高欄のない大床を四方に巡らす(説教を行った堂宇)
輪 蔵 堂(経 堂)
入側柱の間は三間四面、周囲四面に庇を付け、計五面の方形平面、屋根は方形として露盤・宝珠などをのせ、上の軒は三手先組、庇の軒は三斗組、平面中央に中心柱を建て、その周囲に回転する八角形の輪蔵を設置する(経巻や書籍を納める堂宇)。
法  堂
入側柱の間は、三間四面で一手先組にし、内丸桁から地垂木を掛け、側柱を建てて計五間四面(ただし、妻の間を四面とすることもある)。側柱の上は三手先組とした工法の入母屋造(禅宗の住持が説法をする堂宇)。


 屋根形式(やねけいしき

切妻造きりつまつくり
大棟から両側に二つの斜面を葺下した屋根型。一般に大棟に平行方向(桁行方向)を平(ひら)といい、直角な方向(梁間方向)を妻という。
日本建築の代表的な屋根型の一つ。


寄棟造よせむねつくり
四注造ともいう。一つの大棟と四つの隅棟とから構成される屋根型。
日本建築の代表的な屋根型。


宝形造ほうぎょうつくり
方形造とも書く。平面が方形の屋根で、方錐形をなす屋根型。四つの隅棟が方錐の頂点に集まる。頂点上には露盤が置かれる。
これも日本建築の代表的な屋根型の一つである


入母屋造いりもやつくり
切妻造の四方に庇を付けて、一つに統一したような形式の屋根。大棟の飾りには鬼板・獅子口・鴟尾などが用いられる。
日本建築の代表的な屋根型。


その他
切妻屋根の一種に、唐破風屋根・流れ屋根・両流れ屋根・招屋根があり、このほかに、入母屋屋根の前身ともみられる錣屋根(しころやね)がある。



 屋根葺

本瓦葺
丸瓦と平瓦とを交互に並べる葺き方。本格的な日本建築では本瓦葺きである。軒先の瓦には文様を付す。普通の本瓦葺は、野垂木の上に裏板を張り、これを土居葺とした。屋根の曲線は土居の厚さで調整した。近世では野地に完全な曲線をとって、葺き土の量を減らし軽量化を図っている。

桟瓦葺
桟瓦は江戸時代の発明で、一般的には住宅用いられて、社寺では軽微な建物に用いられた。

銅板葺
銅板で屋根を葺く場合、銅板瓦棒葺、銅板平葺の二つがある。

桧皮葺
桧の皮を立木のままで、甘皮に達しない程度にはぎ取る。これを鬼皮というが、鬼皮の表皮の荒皮を取り除いた良質の部分を用いる。耐久力は30年~60年くらいある。

柿葺こけらふき
杉の赤味または椹(さわら)の板を、平葺部では1寸厚の板10枚に割った柿板で葺く。柿葺の一種に栩(とち)葺がある。これは柿葺より厚板を用いる葺き方で、板厚は3分~1寸くらいである。

草葺
草葺には、藁葺き・茅葺がある。 伊勢神宮では古式を伝えるため茅葺が用いられる。



 破風(はふ)

破風
屋根の妻に取り付ける幅広の板状の斜材。直線状の破風を直破風、曲線状の破風を曲線の形によって、反り破風と呼ぶ。

直破風 
住宅・簡単な建物・神明造・大鳥造・住吉造の本殿に用いる破風である。

反り破風
曲線が凹形をなす破風で、社寺建築では最も多用される。反り加減は古い時代は比較的緩やかだったが、室町時代の頃から、たるみが増して大きな反りになった。

起り破風
曲線が凸形をなす破風で、ふつう、玄関・住宅・庫裡などに用いる。威厳に乏しい。

流れ破風
切妻反り破風の一種である。神社本殿の流れ造の屋根にみる破風。両流れ造の場合もある。

千鳥破風ちどりはふ
屋根の平地の上にのせる反り破風である。屋根に変化を付けるつために設ける。据破風という別名がある。

唐破風からはふ
中央凸形、左右凹形の曲線からなる破風。小さな門、玄関に用いる。現存例では鎌倉以後のものしかない。鎌倉の現存最古と考えられるのは、法隆寺聖霊院内陣厨子で他には、石上神宮摂社出雲健雄神社拝殿や峯定寺本堂付供水所などがある。現在の東大寺大仏殿に見られるように、軒先に唐破風を設ける場合、これを軒先唐破風と呼ぶ。

懸魚げぎょ
棟木の木口を隠すために、破風板の拝み下に付加する彫刻的装飾。そのデザインには、猪の目(ハート形または瓢箪形の彫刻がある懸魚)・三つ花(下向きのほかに左右にも同様な形が突き出している懸魚)・かぶら・梅鉢などが用いられる。破風板の流れの下部に取り付ける場合は桁隠しと呼ぶ。拝懸魚、降懸魚、兎の通などがある。



 軒廻り(のきまわり)


軒廻りは、社寺建築の重要な「美のポイント」のひとつです。軒の出は軒の深さとも呼ばれ、一般には建物の大 きさや軒高から割り出します。
普通、張間の1/3~1/5ぐらいです。
例えば、張間が6間のときは、2間の軒出となります。
社寺建築では深い軒をささえるために、構造と意匠の両面から種々の工夫がなされています。

垂木
軒を構成する細長い材。横断面の形状は古代にはだ円形が用いられたが、後世は長方形の断面で成が下端幅の2割増であるのが、一般的な木割であった。
地垂木
二軒の場合に、丸桁にのる垂木である。力強く見せるため鼻の上端に反り増しをつける。
飛えん垂木
二軒の場合に木負から付け出す垂木である。軽快に見せるため鼻の下端を少しそぐ。
論治垂木【ろんじだるき】
二軒の場合に、隅木と木負との交点から出す飛えん垂木。
配付垂木【はいつけだるき】
隅軒を作る垂木である。地垂木、飛えん垂木とも側面に取り付ける。
枝外垂木【しがいだるき】
切妻屋根において、隅柱から外の垂木を枝外垂木という。
輪垂木【わだるき】
化粧屋根裏や廊下等の天井を曲面にする場合、曲面に相当する曲がった垂木を輪垂木という。
茨垂木【いばらだるき】
唐破風の屋根裏に使う。唐破風の曲面に合わせた垂木。
垂木の配り方
垂木は桁に対して直角に配る平行垂木。棟から桁へ放射状に配る扇垂木(おおぎだるき)がある。
本繁割【ほんしげだるき】
 垂木と垂木との間隔を垂木成(せい)または、垂木幅にとる割付方である。前者を背返し、後者を小間返しという。本繁割では、一般に背返しが用いられている。垂木と垂木の間を垂木間というが、本繁割はでは、柱真に垂木間を合わせる。
なお、背返しでは、割り付けた垂木の真々長さが、垂木成と幅との和の長さになるが、これを、1枝(支)という。つまり、1枝の長さは垂木の断面寸法によって決まる値である。
半繁割【はんしげだるき】
 垂木間を(垂木幅+垂木成)または(垂木幅×2)の割合にとる垂木配りである。半繁割の場合は垂木真と柱真とを合致させて納めるのが一般的である。
本繁割は本格的な建物に用いるが、半繁割はやや程度の下の建物に採用される垂木幅である。
疎割【まばらだるき】
半繁割よりもさらに垂木間を大きくとった割付である。簡単な建物に用いられる。
吹寄せ割【ふきよせだるき】
 垂木2本ごとにあるいは3本ごとに垂木を大きくとる割付で、軽快な軒の感じがだせる。
扇垂木割【おおぎだるきわり】
 隅軒をもつ建物では垂木を扇状に配る場合がある。これを扇垂木といい、禅宗様に用いられた。
木負【きおい】
二軒の場合、地垂木によって支えられ、飛えん垂木を取り付ける断面四角の横架材。軒の隅は反り上がるのが一般的であるから、木負も隅に近づくほど反り上がる。
茅負【かやおい】
二軒の場合、飛えん垂木の鼻(一軒のときは化粧垂木の鼻)に支えられる横架材で、裏甲、軒付をのせる。軒反りの関係から隅へいく程、成を増す。
裏甲【うらごう】
茅負の上にのせる平らな材で、その上に軒付がくる。裏甲には茅負と同方向に横木を使う布裏甲、木口を正面に見せて茅負に直角にのせる切裏甲がある。後者は、大建築に用いられる
隅木【すみぎ】
寄棟・宝形・入母屋の屋根には隅棟が生じる。この隅に入れる材を隅木という。一軒の場合は直に作られるが、二軒の場合には段付の隅木になる。
一軒
軒が一重(地垂木のみ)の軒、勾配は3~4寸勾配とする。垂木は直垂木の場合、反り垂木の場合があるが、いずれも隅にいくに従って反り上がって取り付けられるために、現場で原寸図を起こし、実際の寸法を決める。
二軒【ふたのぎ】
二重は地垂木(ときに母垂木)と飛えん垂木で構成する軒である。地垂木の勾配はふつう4寸前後、飛えん垂木の勾配は3寸前後とする。なお縋向拝の屋根では野地の勾配が緩くなっているので、これに応じた勾配にする。

 組物(くみもの)

 寺院の大きな屋根を支える複雑な木組みのようなものを、組物と呼びます。柱とその上の桁や梁を接合して部分で、四角い升のような形をした「斗」と、その上に舟のような「肘木」を組み合わせて梁をのせるしくみとなっています。
 組物の斗と肘木の組み合わせ方には、建築様式や年代によってさまざまな種類があります。いくつもの斗と肘木を複雑に組み合わせ、さらに彫刻などで凝った装飾がほどこされていることも多く、社寺建築の見どころのひとつになっています。
 斗と肘木を何段にも重ねて張り出させることを「手先」といい、斗と肘木の組み合わせが1段なら出組、2段なら二手先、3段なら三手先などと呼びます

 
奈良時代に入り、複雑で豪華な三手先が最高の組物として寺院の塔に用いられるようになると、塔は徐々に大型化していきます。


ます
斗の平面形は正方形またはやや長方形で、古い時代ほど成が大きいが、後世は成が小さい。
大斗
柱上に設ける斗を大斗といい、ふつう柱径と同じかやや大きめの正方形の平面をもつ。
方斗
大斗の上に枠肘木を設け、これを介して大斗上にのる斗で、平面は正方形である。
巻斗
肘木の一端または両端に設ける斗で、平面はやや長方形である。成は方斗と同一である。
鬼斗
隅肘木の上に設けて、通肘木を受ける斗である。斗尻と含みは45度ねじれる。角斗ともいう。
延斗
隅肘木を持ち送るために隅肘木上に設ける斗で、平面形は必ず長方形である。
捨斗
巻斗の一種である。隅の斗組において、肘木上に斗が四つのる場合の外側の斗
肘木【ひじき】
斗の上にのって斗または桁を受ける横材で和様、禅宗様、大仏様では形状に相違がある。
舟肘木【ふなひじき】
柱上もしくは柱上の大斗にのせて、桁を支える。三つ斗組の肘木よりも長く、両端を舟形に繰り上げる。
枠肘木【わくひじき】
斗の上で十文字状に組む肘木
秤肘木【はかりひじき】
出組以上の組物の場合、最も外側の肘木、天秤のように巻斗を受けるためこの名で呼ぶ。
実肘木【さねひじき】
三つ斗の上にのせて、桁を受ける場合の肘木。端部には彫刻を施す。
通肘木【とおりひじき】
一筋に通った組物の上に一本通った横木(肘木)をのせる場合、これを通肘木という。
大斗肘木【だいとひじき】
柱上に大斗をのせて、その上に舟肘木をのせ、桁を受ける組物である。
三つ斗組
柱上に大斗・肘木をのせ、肘木上に巻斗を三つのせて桁を受ける組物である。一般には桁は大きい材が用いられるので、三つ斗の上に実肘木をのせて桁を受ける例が多い。なお、三つ斗組を桁方だけに設ける場合を平三つ斗組という。また大斗の上に肘木を十文字(枠肘木)に組んで、桁と平行・直角の両方向に組む場合を出三つ斗といい、ていねいな工法である。
出組【でぐみ】
一組の肘木(枠肘木)を用いて壁真より外へ一手だけ前方へ丸桁を出す組物。手先からいえば一手先(ひとてさき)であるが、普通には一手先とはいわず出組ということが多い。
二手先組【ふたてさきくみ】
手先とは柱筋から前方に突出した斗組をいうが、二手先は出組よりも一手多く、柱筋から斗を二列突出させた斗組。先端の肘木及び斗は尾垂木によって支えられるのがふつうで軒支輪及び小天井を必要とする。
三手先組【みてさきくみ】
二手先がさらに一列外方に突出した組物である。奈良時代以降、ずっと本格的な重要建築に二手先とともに多く使われてきた組み方である。
疎組【あまぐみ】
和様の建築では柱の頂部にだけ斗を組み、柱と柱との中間には中備えとして間斗束、蟇股、二つ斗などを飾る。疎組はその音から亜麻組とも記す。
詰組【つめぐみ】
禅宗様の建築では斗組を柱上のみならず柱と柱との中間にも組む。これを詰組という。
大仏様の組物【だいぶつようのくみもの】
大仏様の組物は肘木を柱に差して(差肘木)、前方へのみ手先を伸ばしている。東大寺南大門や浄土寺浄土堂、醍醐寺経蔵などにみられる。

 軸部(じくぶ)

【軸部と架構】
 柱とそれを繋ぐ横架材からなる骨組みが軸部であって、横架材の基本は長押と貫です。
この軸部に梁と桁がのり、さらに屋根を支持する架構が組まれます。

 東大寺回廊の場合の軸組は、横架材は下から地覆、腰貫、頭貫及び腰長押、内法長押が桁行にあり、梁行には飛貫を通します。扉につく柱間には地長押が取り付き、腰長押がありません。柱上に出三斗組の組物をのせ、実肘木上には虹梁がかかり、豕扠首を組んで化粧棟木を支持します。

柱は貫とともに軸部を構成する主要部材である。
柱の断面形状
古代の寺院では丸柱が用いられた。平安時代のころから角柱が用いられた。角柱の面は鎌倉・室町・江戸時代となるほど、時代に比例して小さくなる。各柱には几帳面、丸柱には胡麻殻面なども取られるようになった。
柱の見付形状
飛鳥様式の建築では丸柱の中に胴張り(エンタシス)を付けた。奈良時代には若干の胴張りが残り、元口は末口よりも太い。平安時代からは真直な柱になった。鎌倉時代の新様式の禅宗様建築では丸柱、角柱ともに元口と末口に粽をとった。桃山時代からは柱に彫刻を施すのも行われた。
柱の太さ
一般には古代は太く、後世には細くなった。江戸時代の木割例では、柱間の0.9~1.2割の太さ。向拝柱は神社では本柱径の0.8~0.9割とする例がみられる。
丸柱と角柱
一般には重要な建物あるいは重要な柱には丸柱を用いた。
柱の配置
正面の間は奇数間、妻の間は偶数間に柱を割り付けるのが一般である。これは小屋組みの構造からくる必然的な配置である。
柱の据え方
社寺建築は建物荷重が大きいので、柱は礎石に直接立てる。古くは礎石に柄を設けたが、一般には石面にそのまま立てるか、柱に柄を設け、石の穴に合わせて立てる。
【ぬき】
柱を貫いて、柱をヨコに連絡する構造部材である。
貫の種類
貫は使われる位置によって、下から地貫、腰貫、内法貫、飛貫、頭貫などがある。
長押【なげし】
主として装飾的に柱の側面に貫と平行して付ける横材を長押という。その位置によって、地長押・腰長押・内法長押とよぶ。長押は、和様の建築に限って用いられ、禅宗様には用いない。
台輪【だいわ】
柱頭と頭貫の上にのせる厚い平板である。禅宗様の建築に用いられ、和様にも取り入れられた。
虹梁【こうりょう】
梁は柱頭を連絡する部材である。柱頭の連絡は壁付部、吹放し部において行われる。社寺建築では両端の構造は貫で、中央は梁になっている場合があり、これを虹梁と呼んでいる。禅宗様の虹梁では中央の断面に膨らみがあり、下端には眉欠、錫杖彫を施す。柱との取り合いには、柱から少し離れたところに袖切を作り絵様を施す。水引き虹梁・海老虹梁・妻虹梁などがある。
繋虹梁【つなぎこうりょう】
本柱と向拝柱を連絡する梁である。一方は本柱の胴に差し、他の一方は短い柱の頭貫または斗組に組ませて使う。繋虹梁を曲線に使う場合は、これを海老虹梁と呼ぶ。
板壁と土壁が用いられる。
板壁
板壁の構造は、ふつう柱を溝に付け、実(さね)を付けた壁板を落とし込む。重要な建物では二重の板壁とすることが多い。部屋の間仕切りは紙張りや布張りの上、絵を描くこともある。
土壁
貫、小舞等で下地を作り荒壁とし、上塗りを施す。板壁と混用する場合もあるが、社寺では一般に板壁とする例が多い。

 柱間(はしらま)

縦吊戸(板扉=板唐戸・横桟戸・桟唐戸)・横吊戸・引戸(板戸・杉戸・舞良戸・格子戸・襖・障子)などの各種がある。このうち、横吊戸は神社に、引戸は住宅に使われる。
板扉
これは板唐戸とも呼ばれ、枚ないし幅狭の板なら数枚を剥ぎ合わせた戸で、和様の形式である。板唐戸では上下に端喰をつけ、軸部の割れを防ぐために杓子金物を用い、板の割れを防ぐために八双金物を打って補強する。神社本殿や古式の仏堂に使われる荘厳な戸で、和様に用いられる。
横桟戸
框や桟を使って組み立て、連子や花狭間、格狭間を上や下に入れ、補強のため接合部の要所に金具を打つ。鎌倉時代禅宗建築に用いられたのが、最初であるが、その後和様にも多用された。桟唐戸の建込みは軸吊りに、開くときは下のは外し、上のは外側に持ち上げ金物で引き上げる。古くは寝殿造、住宅に使われたが、書院造に襖・障子が使われるようになってからは神社に残った。
引戸
引き戸のうち、舞良戸、格子戸は社寺に使われている。
社寺建築の窓は飛鳥・奈良時代から連子窓用いられている。禅宗建築では火灯窓が用いられる。
連子窓
四方を框で作り、断面が四角あるいは菱形の縦子の刃を外に向けて密にはめ込んだ窓である。
火灯窓【かとうまど】
アーチ状の曲線から成る窓で格子や花狭間を入れた。禅宗様に用いられる。
欄間らんま
住宅が発達してから仏寺にも採用された柱間装置である。筬欄間が主流であったが、近世に到っては花狭間や彫刻が使われ、かつ極彩色を施すようになった。
天井
天井は次のように分類することが出来る。
鏡天井
小規模の場合は1枚板、大規模の場合は平板に打ち上げた天井。禅宗建築、神社建築に見られる。天井には極彩色または墨絵の絵が描かれることが多い。
普通天井
通常、室の長い方向に棹縁を流し、その上に天井板を張った形式である。住宅に多い。
組天井
太い格縁を組んで、格間を板でふさいだ天井。法隆寺金堂から鎌倉時代まで行われた和様の天井で、組入天井ともいう。組天井は格間を見せるより格縁を見せる天井である
平格天井
比較的細い格縁を用いて格間を広く見せる天井で、張付格天井・板違天井・小組天井の各種がある。いずれも和様系の天井である。
折上天井
支輪によって折り上げた天井である。支輪の形は、古くから直線状であったが、後世は曲線が強くなった。折上天井は組天井、格天井、二重折上格天井の別がある。
化粧屋根裏天井
天井を張らない場合は屋根裏の垂木が直接見える場合、これを化粧屋根裏天井という。

 基礎および地形


基礎きそ
基壇の施工には、盛り土を施す宅地土留擁壁の工法に準ずる。
盛り土の高さによって壁厚及び配筋工法も異なる。
一般に高さは1.0~2.0mぐらいであるから、壁厚は15㎝前後、挿入補強鉄筋も9~13φを碁盤目に組んで応力に合致するように建て込み、型枠を組み込んで生コンを打った後、1~2週間の養生をする。
野面石、間知石の組積工法では裏面に厚20~30㎝の裏込めのコンクリートをする。
とくに、廻廊下の土間コンクリート面との接合部はひび割れが生じやすいので補強筋を30㎝間隔に入れておくと良い。
また、盛り土と擁壁面には砂利層を造って、水抜きを1m以内ごとに設ける。

礎石そせき
柱下に据える石を礎石という。礎石には花崗岩、安山岩、凝灰岩などを用い、自然石のままのものと、加工を施したものとがあります。加工の仕方はいろいろあり、上面の柱面を部分を粗く平らにしたものや、柱座を造りだしたもの、あるいは柱座の中央にほぞを造りだしたりしたものがあった。また、柱底の湿気をとるための水抜き穴や溝を切ったものもあります。一般的にいって7~8世紀が、もっとも石材加工が進んだときで、8世紀後半ごろから、建物に床を張るようになるにつれて礎石の加工も行わわれなくなります。礎石の下には、特別の工作はなく、拳大の石を詰める程度です。
塔の心礎は、一般的に形が大きく、舎利を埋納する孔をもつ場合があります。舎利孔の形式や位置については、いろいろな手法がありますが、ふつう礎石面中央に孔を大中小の三段階に穿ち、最小最深の孔に舎利容器を入れ、中の孔に蓋をし、最上最大の孔に心柱の基部を入れます。

基壇きだん
土地の湿気を防ぎ、外観を整えるために、建物の下に築いた壇を基壇という。その外側は石で包み、中を砂と粘土を交互に層状にして突き固めた版築(はんちく)とし、上は漆喰叩きあるいは石、瓦敷きとした。飛鳥・白鳳時代の版築は、地面を掘り下げてから築く掘り込み地業でしたが、奈良時代になると掘り込みは省略されました。
 7世紀末の法隆寺金堂及び塔までの基壇は、地覆石の上に羽目石を立て、上に葛石をのせていましたが、8世紀に入ると、隅と柱筋に束石を立てる檀上積基壇が生まれ、以後この手法が長く踏襲されました。この他古代の寺院跡に残る基壇の外装としては、自然石をもちいたもの(飛鳥寺講堂)、平瓦と玉石を交互に積んだもの(伊丹廃寺金堂)などの例もある。

亀腹かめばら
床張りの建物の縁下の本柱礎石の見付きを隠す構造。漆喰塗で饅頭形を作る。


 平面及び立面

日本建築の平面
長方形あるいは方形が一般的である。
日本建築の立面
多くは単層(一重)または重層(二重)である。重層の場合は上下両層の中間に高層を組むのが普通である。なお、重層の建物でも下層に屋根を付けない場合(例:法隆寺経蔵)を楼造(ろうづくり)という。
母屋(身舎)
仏堂に於いて、大梁を架けて構成する主体部分を母屋といい、仏壇を設ける空間である。
母屋の四面または何面かに設けた下屋構造の一間(ひとま)幅の空間を庇という。屋根は母屋と一体につながる。
裳階もこし
本屋の側柱(庇柱)の頂部に庇を取り付けたときできる空間を裳階といい、建物を広く使うために設けられる。日本建築における裳階の利用は奈良時代からである。
けん
柱と柱との間(あいだ)を間(けん)と呼ぶ、つまり柱と柱との実際の距離とは無関係に、三間(みま)あれば三間(さんげん)と呼ぶ。
平面規模の表示法
平面の大きさは外側の柱間の数にもとづいて「正面何間、側面何間」と表す(何間何間の建物と呼ぶ場合もある)。これが平面表示法の基本である。現行の重要文化財目録の建造物編では桁行何間、梁間何間と表記している。裳階がつく場合は、主屋(母屋+庇)部分について「桁行何間」、「梁間何間」と記し、その後に「何重裳階付」と表記している。         例えば、東大寺金堂(大仏殿)の場合は、桁行五間、梁間五間、一重裳階付、現状の法隆寺金堂は桁行五間、梁間四間、二重、初重裳階付と表記している。
間面記法けんめんきほう
古代の仏堂(裳階を利用する以前)は母屋と庇で構成されていたので、母屋の桁行の間数と庇の数によって平面を表した。この場合、母屋の梁間は二間とだいたい決まっていたので、「三間四面」のように梁間の大きさを省略した。なお、「三間四面」の三間は母屋の間数、四面とは庇の数を意味する。つまり、桁行三間、梁間二間の回りに、四面の庇が付いた建物である。このように表示すると、母屋の大きさ、庇の構成がわかり、さらに三間二面は切り妻屋根、三間四面は入り母屋または、寄棟の屋根の建物であることがわかる便利な平面表示法である。これは平安時代から鎌倉時代にかけて使われた表記法である。
塔婆の平面
塔婆のうち、五重塔・三重塔などは桁行・梁間がともに三間であるから、三間五重塔・三間三重塔と呼ぶ。裳階がつく場合は何重裳階付という表現を付加する。多宝塔も三間多宝塔と表す。
円堂の平面
法隆寺東院夢殿、栄山八角堂のように円堂は八角堂と呼ぶ。
門の平面
八脚門の場合は三間一戸と呼ぶ。戸とは戸口の数である。
鐘楼の平面
桁行、梁間の間数によって、桁行一間、梁間一間とか桁行三間、梁間二間のように呼ぶ。
向拝こうはい
正面階段の上部に付加した吹放しの庇。一般には階(きざはし)がある。
梁間はりま
大棟と直角方向のこと。一般にはその長さ。
桁行けたゆき
大棟と平行方向のこと。一般にはその長さ。
妻入り、平入り
建物の妻側に入り口を設ける場合を妻入り、桁行方向に設ける場合を平入りという。

 寸法関係の用語

心々寸法、真々
柱、壁等の中心から中心までの距離
内法
柱間、窓、出入口等の内側の距離
横材の縦の寸法
見付き
枠、框、組子等の正面の幅
見込み
枠、框、組子等の側面の幅
窓、出入口等の開口の見込み寸法


神社建築


 神社の建物構成と名称

神社の神域には種々の建物が配置され、固有の役割があります。
同一の役割の建物でも神社によっては名称が異なる場合もあります。
下記には一般的な解説を示しておきます。

社殿【しゃでん】
神社の建物(殿舎)を総称した呼び名
本殿【ほんでん】
正殿ともいう。御祭神を祀るところ
拝殿【はいでん】
祭神への遙拝、神事を行なう建物
勅使殿【ちょくしでん】
勅使が用務を行なったり、控えの場。勅使が派遣される神社に設けられる。
祭文殿【さいもんでん】
勅使がお参りするところ。勅使が派遣される神社に設けられる。
祝詞殿【のりとでん】
神主がお参りするところ。
神楽殿【かぐらでん】
神楽を舞うために設けた舞台。屋根形には、切り妻・入母屋・寄せ棟等
手水舎【ちょうずや】
神に近づくまえに手を清め、口を漱ぐところ。
幣殿【へいでん】
供物(幣帛)を奉奠するところ。拝殿と本殿の間にある。
神門【しんもん】
神域に入る門で、神に仕える者の出入りする門にある。
鳥居【とりい】
一般の参詣者が神域に入る門で、各種の形式がある。
末社【まっしゃ】
御祭神に従属する神々を祀るところ。本社に付属する小さい神社。
摂社【せっしゃ】
御祭神の客分として祀られる神々を祀るところ。本社と末社の間に位置する。





 鳥 居

鳥居について
鳥居についての起源は定かではありません。古代、人は死ぬと霊魂は白鳥になって空を飛ぶと信じていました。鳥になって神社の聖域に出入りするとき、魂の小休止のための止まり木が鳥居ではなかろうかとする発想もあります。しかし、日本の神社のお使いはニワトリであり、ニワトリの止まる横木を鳥居の原形とみなす説もあるので、単なる空想でもありません。いずれにしても、鳥居の造形はわれわれ日本人にとって神社らしさ認知せしめる存在であり、霊域を象徴した聖なる形といえます。鳥居の基本形は左右2本の柱と柱頭をつなぐ笠木、柱間に渡す貫の3つの部材から構成される。鳥居にはいくつかの種類があります。これらのうち、明神鳥居、両部鳥居、稲荷鳥居などは神仏習合の種類である。


神明鳥居
しんめいとりい
ヒノキの磨き丸太を使う鳥居で、神明の宮社に建てる鳥居である。
一般の神明鳥居では柱に転びを付けて、見上げの安定を得るようにする。
八幡鳥居【はちまんとりい】
笠木および島木に反りを付けない鳥居である。
笠木、島木の端はたすき墨に切るのが特徴である。
春日鳥居【かすがとりい】
八幡鳥居と同様に笠木、島木には反りを付けないが、笠木、島木の端を立水に切り落とす。
明神鳥居【みょうじんとりい】
地盤から貫下端の寸法を根柱の内法同寸に割る鳥居である。
最も一般的な鳥居であり、笠木、島木に反りを付けて、その端部は斜めに切り落とす。
鹿島鳥居【かしまとりい】
神明鳥居に酷似しているが貫鼻を間の1/3出す。
笠木は貫鼻より柱1本長く伸ばし、立水に切ることである。なお、柱には転びは付けない。
稲荷鳥居【いなりとりい】
柱の上端に台輪を付けた鳥居であり台輪鳥居とも呼ばれている。
この鳥居も明神鳥居とよく似ている。
山王鳥居【さんのうとりい】
稲荷鳥居の笠木の上に柱外面の見通しより5寸勾配の破風の合掌を付した鳥居である。
総合鳥居、破風鳥居とも呼ばれている。
大津市の日吉大社にある。
両部鳥居【りょうぶとりい】
稲荷鳥居に似た形であるが、本柱の前後に小柱(袖柱、稚児柱ともいう)を設けこれに貫を通す。
笠木の上には屋根板を張り棟木を置く。
四脚鳥居、権現鳥居の呼び名もある。
三輪鳥居【みのわとりい】
鳥居の両脇に両袖(脇鳥居)を付けた鳥居である。
柱に転びはつけない。
奈良の大神社のものが有名である。
鳥居の各部材寸法
【柱】
大きさ: 下の間の11/100
高さ: 本社の茅負上端と、鳥居の笠木の上端とを同じ高さとします。
柱間: 柱心間は石の上から笠木上端までとし、柱間を縮める場合でも、下の間の長さを柱貫の上端までとします。
ただし、柱間が大きいときは低く、小さいときは高くして、所によって高低を見合わす。
上の挟まり: 柱断面を八角に割り、その一辺の0.7071(柱の太さで八角形と四角形を画き、八角形の角点と最も近い四角形の角点の距離)を嶋木の下端で転びとするのが標準。四足鳥居の挟まりは、柱半分

【貫】
幅: 柱の3/10
成: 柱の8/10
長さ: 下の間の1/5を柱芯から出し、柱下の外面または芯あるいは内面から「たつみがわ」に線を引き上げ垂直に切る。また、下の間の1/3を出し同様に垂直に切る。

 社殿の様式

社殿の様式
社殿には種々の様式がある。
大社造、大鳥造、住吉造、神明造等は奈良時代の前期までに成立した古式の社殿様式であり、直線本位の構成にその特徴がある。
平安時代以降、このような我国独自の神社建築にも仏教堂宇の建築技術の影響や、神仏習合の思想によって、社殿様式にも新しい展開を見た。
春日造、流れ造、八幡造、日吉造などがそれであるが、新様式の社殿は部材に曲線を採用したことや彩色を施したこと、楼門・廻廊の制によったことが主な特徴である。




大社造【たいしゃづくり】
社殿としては最古の様式で、古代の住居の形をそのまま適用したものと考えられている。
切り妻屋根、妻入り、方二間の正方形の平面(四つ目建)である。
出入り口は妻に向かって右側の柱間に設けられている。
御祭神は奥の間の右側に安置されていよう。
【大社造の代表的な遺構】  出雲大社本殿(島根県)
大鳥造【おおとりづくり】
大鳥造は大社造が住吉造に変化する過程に生じた様式であると考えられている。
切り妻屋根、妻入りの形式である。
出入り口が中央に設けられているなど、大社造よりも神社建築としての機能性に発展が見られる。
【大鳥造の代表的な遺構】 大鳥神社本殿(大阪府)
住吉造【すみよしづくり】
大社造から出ているが大鳥造のさらに発達した様式である。
側面四間、正面二間で規模は大鳥造の2倍である。
切り妻屋根、妻入り形式で平面は中央に間仕切りを設ける。
住居の平面から脱却して社殿の機能にあった平面になっている。
【住吉造の代表的な遺構】 住吉大社本殿
神明造【しんめいづくり】
神明造の社殿は切り妻屋根、平入りの形式である。
構造的な特徴としては妻側の壁面の外側に棟木を支える棟持柱が立てられ、切り妻破風は棟で交叉して千木となる。
左右の破風の拝みの近くに小狭木舞と呼ぶ細木を破風板の勾配なりに四本ずつ差し込むなどが特徴である。
【神明造の代表的な遺構】 神明宮本殿(長野県)
唯一神明造【ゆいいつしんめいづくり】
神明造のうち伊勢神宮の内宮・外宮に用いられている様式は別格で、これを特に唯一神明造と呼んでいる。
この独特の様式は他のお社がこれを模倣することは許されないことになっている。
各部は神明造を基調としているが、屋根はわん曲に葺き上げられている。
古くから20年ごとに造替がなされ、これを式年造替と呼んでいる。
唯一神明造には細部に至るまでの様式とか寸法が制定されていて、造替の都度に忠実にこれを厳守し、古式を今日まで伝えている。
皇太神宮(内宮)の現在の正殿の姿は、天正13年(1585)の造替の際の形式を伝えているものとされている。
これは、古代の形式と著しい相違はないが、古代のものより飾り金具が多く使用されているといわれている。
春日造【かすがづくり】
春日造は住吉造から出た様式である。
切り妻屋根の片側の妻に向拝を付加した妻入りの形式で、屋根にはたるみ曲線を用いている。
奈良の春日大社本殿が祖型であることから春日造と呼ばれている。
妻入り向拝付の正面は入母屋のように見えるが隅木は使われていない。
春日造の社殿は、奈良県地方に多く分布している。
春日造も本殿正面の柱間が一間の場合を一間社、三間の場合を三間社と呼ぶが、一間社の例が多い。
流れ造【ながれづくり】
神明造からでた様式である。
切り妻屋根、平入りの形式であるが、正面側の屋根の流れを長く延ばして反りを付け、これを向拝にした社殿である。
高欄付の廻り縁を設け、前面には木階高欄が付く。
正面の間数は一間社を初め三間社、五間社等のように大きい社殿もある。
流れ造の社殿は全国的にみても普及範囲が広く、数の上からいえばその7割を占めるであろうと云われている。
八幡造【はちまんづくり】
神明造、流れ造の発達した様式である。
内陣と外陣との棟を前後に平行させて、張り間一間の細殿を設ける平面構成である。
屋根に生じる谷には樋を架ける。
【八幡造の代表的な遺構】 宇佐八幡宮(大分県) 石清水八幡宮(京都府)
日吉造【ひえづくり】
入母屋、平入りの形式の社殿である。
屋根形は入母屋を基本にしているが、向拝を造り出すために前部の流れに縋破風(すがるはふ)を付けだしていることや、背部の屋根の流れを棟に平行に切り落としていることなどが特徴である。
日吉造は滋賀県の日吉神社の社殿だけに見られる様式で、別命を聖帝造とも呼んでいる。
平安時代の前期に生じた社殿様式である。
権現造【ごんげんづくり】
桃山時代に発達した社殿様式である。
本殿と拝殿の間に相の間または石の間と呼ばれる空間を配置する平面構成を1棟の建物とするため複雑な屋根をかけた社殿である。
拝殿の屋根は入母屋であるが、向拝側の屋根の流れに千鳥破風(据破風)を付け、さらに軒唐破風を付けた屋根とする。
本殿の屋根形は入母屋あるいは流れ造の屋根形とする。
いずれにしても本殿と拝殿との棟は互いに平行であるが、相の間の棟はこれに直角に架け渡して両下げの屋根とする。
社殿の細部の建築手法は寺院建築と異なるところがない。
権現造の社殿は江戸時代に入ってから日光東照宮をはじめ徳川氏関係の神社に多く用いられたことから徳川家康の神号「東照大権現」にちなんで権現造と呼ばれるようになった。
社殿の様式の中でも最も華美なものといわれています。
その他の社殿様式
社殿には上記の他にも様々なものが知られている。
例えば、祇園造(京都市の八坂神社社殿)や吉備津造(岡山県の吉備津神社社殿)のほか香椎造(香椎宮)などは有名である。
これら社殿は各様式を自由に組み合わせた建築であるといえよう。



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