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登米市石越町の古刹
石越山 昌學寺
【本堂外観】 |
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登米市石越町の寺院「石越山 昌學寺」は曹洞宗の寺院です。
昌學寺の由緒沿革の古文書がすべて失われているので詳しくはわかりませんが、仁明天皇嘉祥元年、慈覚大師の開創で旨江山鳳音寺台光院(天台宗)と称していましたが、戦国時代、葛西・大崎の争乱を経て久しく頽廃していたのを、弘治元年四月宝殊寺五世吉山松音和尚に移り曹洞宗に改め、金鶏山正覚寺(のち石越山昌學寺)と称し今日となっています。
昌學寺への改称の時期はいつかはわかりませんが、宝暦元年過去帳の表紙に「石越山昌學寺現在七世大眠円龍」と記されており、また宝暦二年の人別帳には「石越山昌學寺」と明記されています。
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【内陣】
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本堂には石越町の仏師二階堂規慶作の達磨大師像や大権修理菩薩像があります。
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菅原木工は、本堂をはじめとし、庫裡、位牌堂、手水舎など多数の堂宇の設計・施工を手がけています。 |
【子安観音堂】 |
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昌學寺境内東隅にあり一間半四面方形斗栱、扇垂木、二重軒 享保二年の建築と伝えられています。子安観音像を安置。
源義家が観音原に建立したのを後年境内に移したと云われています。 |
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【昌學寺 山門正面】 |
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間口三間、奥行二間半、木造茅葺(昭和三十七年に瓦葺に改修)楼門造り。
天明五年の着工、棟梁は菅原卯八で最後の作品となっています。四方転び無楔の楼門でしたが、屋根の改修の際に基壇を設け、その上に建物を据えたので楔を施しました。
もともとは鐘楼を兼ねた門として建築され、かつては梵鐘が吊られていたが、昭和十七年に太平洋戦争のため他の金属仏具とともに供出されました。
子安観音堂・山門ともに登米市の文化財に指定されています。 |
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【昌學寺 山門背面】 |
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【工事概要】
本堂新築工事
位牌堂新築工事
庫裡増築工事
手水舎新築工事
山門修復工事
開山堂改修工事
本堂改修工事
庫裡改修工事
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【金鶏山館跡】 |
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昌學寺の裏手にある山が金鶏山です。
この山全域が金鶏山館で、規模は東西200m、南北450m、高さ72m。本丸が東西30m、南北50m。
南北の両側に三日月上の土壇があり、東南面に空堀のあと、南面に馬場跡があります。
この館は前九年の役の際、安倍貞任・宗任の拠点としてつくられ、その後、源頼義方に攻略され基地として使用されたと云われています。 |
【出典】石越町史 |
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