花巻市役所や合同庁舎が建つ旧鳥谷ヶ崎城(花巻城)城内を下ったすぐ下旧国道4号線沿いに『瑞興寺』が建っています。
江刺郡黒石、正法寺第三世虎渓良乳和尚が応永四(1397)年の開山といわれています。
開基は稗貫地方を支配していた稗貫三河守広門で、本堂は鳥谷ヶ崎城の本丸にありました。その事実を示す一つに稗貫氏の家紋「丸に太一つ引き」が、瑞興寺の家紋となっています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉は奥州諸侯に小田原参陣を命じましたが、天下の形勢変化の認識に暗かった稗貫氏は、この命令に応じなかったために所領を没収されてしまいます。
そして、翌天正19年(1591)に秀吉はこの地方を含めた稗貫・和賀・紫波の3郡を南部氏に与えました。
南部氏は稗貫氏が支配していた鳥谷ヶ崎城を領境警護に重要な場所として、家臣の北秀愛に八千石を与え城代とし、鳥谷ヶ崎城を「花巻城」と改めています。
北秀愛は花巻城の城郭の改修を行い、その際本丸にあった瑞興寺と三の丸にあった円城寺を、それぞれ城外の現在の場所に移しました。
山号を「龍淵山」と改めたのは、このときからと考えられます。
この寺に寺宝として残っている木造弁財天像は花巻城時代の仏像で稗貫氏時代に本丸にあった瑞興寺の鎮守でした。現在では花巻市の文化財となっています。